10月22日(日)
ANAクラウンプラザホテル京都“平安の間”において,当法人の創立70周年記念式典を第1部式典と第2部祝宴とに分けて開催された。
■第1部において。
オープニングとしてルーマニア出身のヴァイオリン奏者フローリン クロイトル氏によるヴァイオリン演奏で幕を開け,金安一副理事長の開会辞の後,日韓両国の国歌を斉唱。
当法人施設に御尽力された物故者及び,九州北部豪雨の犠牲者に黙とうを捧げたのち,金有作理事長が創立70周年を迎え,次のように挨拶を述べた。
はじめに,当会が設立された歴史等について,「1945年8月,韓国が35年にわたる日本の植民地支配から解放されたとき,それ以前から引き続き日本に住んでいた同胞は,引揚げか在留かと,ただ昏迷するばかりでありました。」
「当時,日本の社会全体が敗戦後の混乱した状態であったため,在日同胞の多くは生業すらなく,毎日の暮らしを立てていくことは大変厳しいものがありました。」
「こうした過酷な生活環境の中で,在日同胞の中には,生活のために思わず道を踏み外す人々がいました。」
「京都民団の指導者たちは,一部の同胞たちのこのような姿に心を痛め,民族愛・同胞愛のもとに彼らを受け入れ,社会復帰を果たすための保護施設の必要性を痛感していました。」
「そして,京都民団の金元守初代団長が中心となり在日同胞の更生保護事業団体設立のため,在京同胞有志を説得,設立募金260万円の寄附を募り,司法保護事業法に基づき1947年10月21日『京都司法育成会』を設立しました。」と述べた。
次に設立以降の変換について「1950年11月24日,更生緊急保護法に基づき,『財団法人京都保護育成会』として更生保護事業法を継続し,そして,1996年4月1日,更生保護事業法の施行に伴い,財団法人から「更生保護法人 京都保護育成会」となり,2001年3月,施設の老朽化に伴い,日本自転車振興会,更生保護事業財団等からの助成金と,当時の河炳旭理事長はじめ理事・評議員の皆様の寄附金を賜り,現在地に鉄筋コンクリート3階建ての現施設を新築,竣工し,現在に至っています。」
「なお,設立当初は在日韓国人の受入れでありましたが,現在ではほとんど日本の人を保護し,年間延べ6千5百名を受け入れて,彼らの更生・社会復帰と再犯防止に向けて,役職員一同頑張っています。」
「また,今日に至るまでの更生保護法人京都保護育成会の苦難と輝きの70年間の足跡を顧みて,将来の更なる発展と新たな礎とするために,記念誌発刊の準備を進めています。」と述べた。
70周年記念式典に当たり今後の抱負等として「21世紀はグローバルな国際社会であり,民族や国籍の相違を乗り越えて,他民族異種文化が共生・共栄する差別のない人権を尊重する日本社会と,戦争のない平和な世界の実現を目指して,更生保護事業と高齢者社会福祉事業に精進して参りたいと思います。」
「最後になりましたが,今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をお願い申し上げるとともに,本日のご臨席の皆様のご健勝と各更生保護施設のご発展を心から祈念申し上げ,ご挨拶とさせていただきます。テダニカムサハムニダ」と挨拶を述べた。
理事長の挨拶後,京都地方検察庁 加藤朋寛検事正,駐大阪大韓民国総領事館 河泰允総領事,京都府府民生活部青少年課 田中輝子課長,京都市子ども若者はぐくみ局子ども若者未来部 中條桂子部長,近畿地方更生保護委員会 大矢裕委員長,更生保護法人京都府更生保護協会 大川原康夫理事長による祝辞を賜りました。
なお,式典において“平成29年度保護司等中央研修会”で法務大臣表彰を受賞した金有作理事長の表彰式が行われ,近畿地方更生保護委員会 大矢裕委員長から表彰状が手渡された。
表彰状の伝達が終わった後,当法人の全面改築など現在の地盤を築いた第8代理事長の河炳旭名誉顧問に花束の贈呈と記念品が在日韓国婦人会京都府本部 金和子会長と金有作理事長からそれぞれ贈呈され,脇田施設長による閉会辞で第1部を終えた。