更生保護施設は更生保護事業法に基づいて、法務大臣の認可を受けて更生保護事業を営む更生保護法人などの民間団体によって設置・運営されており、都道府県所在の法務省の出先機関である保護観察所がその指導に当たっています。更生保護事業のルーツは、明治21年に設立された「静岡県出獄人保護会社」(現在の静岡県勧善会)です。その後、政府の奨励のもと、全国に民間の保護団体により更生保護施設が設置されました。昭和25年施行の更生緊急保護法の下では、法務大臣の認可を受けて更生保護事業を営むものは「更生保護会」と呼ばれ、主に財団法人又は社団法人によって営まれていましたが、平成8年施行の更生保護法により、事業を営む主体のほとんどは新たな法人制度として創設された「更生保護法人」となり、その施設は「更生保護施設」と呼ばれることとなりました。
1945年8月、韓国が36年間にわたる日本の植民地支配から解放されたとき、それ以前から引き続き日本に住んでいた在日同胞は、引き揚げか、在留かと、ただ混迷するばかりでありました。当時は、日本の社会全体が敗戦後の混乱した状態であった為、在日同胞の多くは生計を立てるための仕事すらなく、毎日の暮らしを立てていくことは大変厳しいものがありました。
こうした苛酷な生活環境の中で、在日同胞の中には、生活のために思わず道を踏み外す人々がいました。京都民団の指導者たちは、一部の同胞たちのこのような姿に心を痛め、民族愛・同胞愛のもとに彼らを受入、社会復帰を果たすための保護施設の必要性を痛感していました。
そして、京都民団の金元守初代団長が中心となり、在日同胞の為の更生保護事業団体設立のため、設立募金260万円の寄附を募り、司法保護事業法に基づき、1947年10月21日、「朝鮮居留民団司法育成会京都支部」を設立しました。
当時は、中京区烏丸丸太町にあった民団京都本部会館敷地内の離れ木造2階建て8畳の間4室を拠点に事業を開始し、翌年の1948年3月、南区唐橋琵琶町に敷地395坪、木造2階建て4棟を購入し、施設を移転しました。
その後、1950年12月、厚生緊急保護法に基づき「京都保護育成会」として更生保護事業を継続し、1952年4月、名称を「財団法人 京都保護育成会」に改めて、施設を上鳥羽に移転しました。そして、1955年10月、施設を現在の右京区西院寿町に移転しましたが、様々な紆余曲折を経て、篤志家による苦難の経営が続きました。そして、1996年3月、更生保護事業法の施行に伴い、財団法人から「更生保護法人 京都保護育成会」となり、2001年3月、施設の老朽化に伴い、日本自転車振興会、更生保護事業財団等からの助成金と当時の理事・評議員の皆様の寄附金を賜り、敷地403坪、建坪200坪の鉄筋コンクリート3階建ての定員20名の現施設を新築、竣工し、現在に至っています。
なお、設立当初は在日韓国人の受け入れでありましたが、現在では殆ど日本の人を保護し、年間延べ人員約6千5百名を受け入れています。
金元守 初代
1947年10月21日
~1950年3月8日
金在述 第二代
1950年3月8日
~1950年12月5日
許東律 第四代
1953年12月21日
~1961年4月4日
尹仁述 第五代
1961年4月4日
~1970年4月14日
朴東鉉 第六代
1970年4月14日
~1976年5月26日
金京龍 第七代
1976年5月26日
~1988年6月18日
河炳旭 第八代
1988年6月18日
~2008年3月31日
金有作 第九代
2008年4月1日
~現在
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